1997年に結成して、2000年にデビューシングル「京子ちゃん」をリリースしてから早20年。

オリジナルフルアルバムとしては、約5年3ヶ月ぶりとなる11枚目の「ストレンジピッチャー」。緩やかで穏やかな曲調の「イメージの唄」から始まる今作は、明らかに今までと違う。「ハロー40代」という曲にもあるように、コザック前田が自分の精神状況や大切な人たちとの別れを経て、40歳になったのも大きいかも知れない。

何故、ここまでフラットに落ち着いた変化を遂げて、この素晴らしいアルバムを完成させれたかを、前田と楽曲作りの中心的存在であるギターの山本聡のふたりに聴いてみた。

―ここ近年の流れですが、今回のアルバムも前田さんだけでなく、山本さんや桑原さんが多くの曲を書いていますし、今回の肝となる緩やかで穏やかな曲調である「イメージの唄」(1曲目収録)や「スイートフォークミュージック」(4曲目収録)は、山本さんが書かれてますよね。今までと比べて、よりバンド感、バンドの一体感を感じました。

山本 「昔の方が、みんなで一緒くたになって合わせる事が多かったので、バンドっぽいっちゃバンドっぽかったんです。でも、ここ最近は何か遠慮していたというか…。だから、今回は、そういう遠慮をやめて、自分の想っている事を伝えようとしました。悪く言うと、自分自身のエゴが出たというか」

前田 「やまもっちゃんがエゴを出してくれた事で、音の感じが変わったのが面白かったです。やまもっちゃんが音を提示してくれたから、出来上がったアルバムですね。僕も20代はエゴの塊で曲を作っていて、でも、今は、そういうエゴも減ってきて。それって人間的には良い事だとは思いますが、創作的という面から見ると、丸くなったというか、衰えたというか、短所になってる気もするんです。昔の様に色んな事に対して振り切れてるのは、僕自身少なくなりましたが、ひとつひとつの事を丁寧にする事は今、出来ているんですよ。衝動だけでグチャっとした感じというのは、今は中々出来ないですね。20代の時っぽく出来ないと悩むよりは、今は今で出来てる事自体が良いと思える方が進歩なのかなって」

― 「ハロー40代」(3曲目収録)という曲もありますが、去年、前田さんが40歳になられたのも大きいですよね。

前田 「それもメンバーのおかげというか、メンバーがおってくれたので、何とか僕自身も死なずに40歳を迎えられたとリアルに思っています。だから、こうやってアルバムを出せるのは喜ばしい事ですよ」

―2017年には精神的に体調を崩して入院もされましたよね。

前田 「体の事では無くて、メンタルの事なので、あの時は終わりだと思っていました。もう1回ステージに立てる自信も無かったですから。メンバーは待ってくれる保証も無かったですし。入院の前に『長田大行進曲』(ガガガ主催で神戸で行なわれるフェス)はやりましたけど、その後はライブを入れずに入院して治療をしないといけない状況でしたね」

山本 「その時は、僕も(バンドを)辞めよっかなと思って、よく家族に愚痴ってましたね。辞める辞める詐欺でした(笑)。家族に『辞めて、仕事あるの?』と聴かれて、『ないなぁ!』と答える禅問答の毎日でしたね(笑)。かなり前田さんの状態が良くなかったので、バンドとか、そいう事じゃなくなってると思ってました。モノは作りたいけど、足並みが揃わない1、2年が続きましたね」

前田 「もしかしたら、もっと続いてたかも知れない」

山本 「前田さんは精神的に疲れ果てて、『長田大行進曲』終わって、放心状態でしたから」

前田 「ベスト盤(2017年5月リリース)の時に入れた新曲も、やまもっちゃんとダンナ(桑原)が作ってくれていたし、自分は止まってしまっていたので、何だか浦島太郎の感覚でしたね。退院してからは、その感覚を戻していっているし、考え方も変わってきてます。さっきも言ったみたいにエゴが無くなってきて、クリエイティブが薄れてきて、何とかしないといけないと思って、むやみやたらにお酒を呑んでは『オレなんか…』みたいな自己肯定感が無くなっていく感じになって…。だからこそ、自分を肯定してあげないと何も無いんだなって。新しい事も覚えていきたいと思いましたし、『ハロー40代』の歌詞なんて、最初に書き出した時は書く事が多すぎて、何章になるんやって思いましたよ(笑)。でも、初期作再現ツアーが終わってから、『ハロー40代』の歌詞も変わっていく感じがして。何だか、いい時期になってくる気がしたんですよ。2020年って、もう病んでいる事を売りにする時代が終わったと思ったんです。2000年から、そういう時代が続いていましたけど、2020年は、また肯定肯定でいく時代に差し掛かっている感触があるのかなと」

山本 「僕が禅問答を3ヶ月続けていたら、前田さんが舞い戻ってきたんですよ。全く毒抜けた顔して戻ってきて、それにもイラっとして頭はたいたろかなって思いましたけど(笑)。ツアーも楽しくなくて曲も書かないでスネきっている期間が長かったんですけど、『長田大行進曲』は楽しかったので、峯田さん(銀杏BOYZ)や爽遊さん(ユウテラス)には『ガガガを続ける気持ちなんですけど、次どんな曲を書いたらいいですかね?』と相談はしていて。それで出来たのが『イメージの唄』で、それで初期作再現ツアーが始まって、ようやくエンジンがかかってきましたね」

前田 「僕も退院後は周りが見えてなくて、やまもっちゃんが頭をはたいたろかと思ってたのも、今、初めて知りました(笑)」

山本 「そんな2018年でした(笑)。峯田さんと爽遊さんからは『グア~っていける曲はあるから、違う側面を出した方が良いよ』とは言われていて、とりあえず色々と探って、90年代のインディーロックの感じを出せれたら面白いかなとは思ってました。曲が今までと比べて淡々としてもいいので、アレンジとかで楽しく自分がプレイできるようにしようと。それまでは前田さんがどれだけ歌いやすいかを優先していましたけど、それを無しにして、自分の好きな洋楽のリフを入れたり、今までガガガに持っていかなかった様な曲を持っていき出しましたね」

―そんな中、お父さんやイノマーさん(オナニーマシーン)や松原さん(松原裕・ライブハウス 「太陽と虎」経営者/日本最大規模のチャリティーイベント 「COMIN’KOBE」実行委員長)が亡くなられた大きな出来事がありましたよね。一昔前なら、もっと前田さんが、その出来事に引っ張られて調子を悪くされるイメージがあったんです。でも、今回は乗り越えられている気がして。

前田 「確かに、もっと引っ張られていますね、昔なら。その違いは何なんでしょうね?? ……、総体的に俯瞰で物事を見られるようになったのはあるのかなと。松ちゃん亡くなったのも、周りは熱く話してくるんですけど、実は、そんなに僕らふたりベタベタしてなくて。イノマーさんとも、そうですし。ずっと『COMIN’KOBE』でウチがトリをしていた事もあって、周りが松ちゃんとの関係を美談神格化しているだけで、僕よりもっと近い人もいたでしょうから。もちろん感謝しかないですよ。でも言うても、バンドとハコの人ですから。それが根底にあっての友情なんで。だから、世間の風潮に流されないようにしていました。『オレにとって松原は…』なんて話すのは違った気がして…。青春パンクブームの時もそうですけど、周りに流される事がほとんどなので、そういう意味では地に足をつけれたのかな」

山本 「松原さんに関しては、僕も1回も泣かなかったですし、お通夜も賑やかで酷かったですよ(笑)。僕もそんなめちゃくちゃベッタリじゃなくて、親しい先輩という感じだったので。だから、松原さんへの曲となった『スイートフォークミュージック』もカラッとしているんですよ。本人もカラッとした明るい人だったし、そんなにエモーショナルになる事なく、いい出逢いだったので曲に残した感じですね」

―もちろん色々な想いがある中で、あくまでフラットに乗り越えていったからこそ、こんな緩やかで穏やかな素晴らしいアルバムが出来たのかなと想います。

前田 「何か意固地になって固執する事も守る事も無いですし、来たもの全て受け止めて考える山師みたいな事も無いですし、色々な事に対して平気で生きていきたいですね。それが精神衛生上的にもベストなんで。世間の雰囲気や、その時のカルチャーの感じを読み取りながら、勘も磨いていって、ライブを観てくれる人にとって良い1日を作りたいですね。ライブを作っていく比重は、バンドの中で自分にあるので。これからも今回みたいな変化はあると思いますし、いい40代になっていくかなと。ただ来年全員厄に入るので、恐ろしいですけどね(笑)」

山本 「どう切り抜けていくか!」

前田 「2020年代をね(笑)」

(取材・文/鈴木淳史)